天・地・氣とつながる姿勢
武術的な構えを参考にして
姿勢から見た人の状態
①猫背でうなだれている状態
これは天とも地ともつながれていないし
呼吸も浅くなるので大気中の氣を取り入れることが出来ない。
姿勢としては死んでいる状態。
エネルギーは高くない。
大体いつも疲れている。
②顔を上げて前を向き胸を張っている状態
一見自信に満ちた力強い状態に見えるが
重心が高くバランスを崩しやすい
天とだけつながって宙吊りの状態
自分を見失いやすい。
上ずった呼吸になりがちで、これもまた大気中の氣を十分に取り入れることが出来ない。
すぐに疲れる。
③重心を引くし、上半身をすぼめ、顎を引き、ガードを固めた状態
地とつながって、瞬発力は高め。
しかし、天とのつながりが切れているために、フワッとした軽やかな動きが出来ない。
対処するのが目の前の物事だけであればいいかもしれないが、非常に視野が狭い。
スキがないが、同時に、チャンスを見つけられなかったり、人とのつながりが持てにくかったりする場合がある。
警戒心や不安、緊張に襲われやすく、神経質になりがち。力みの部分が多いのでエネルギー消費が早い。
あまり深い呼吸は出来ない。
④顔は前を向き、胸を張りすぎず、程良くリラックスし、重心は丹田に置き、足裏を通して大地とのつながりを感じられている状態。
天・地・氣とバランスよくつながりが出来ている状態。
動きは軽やかだが、安定感があり、視野も広いので、チャンスを捉えやすく、そこに向かってスイスイ動いていける。
呼吸も深く、大気中の氣を十分に取り入れることが出来る。
力みがほとんど無いので、エネルギー消費も少ない。
ザックリと武術家的な視点でから見た人の姿勢とその状態について書いてみました。
もちろん例外なんていくらでもあるし、どれが良い悪いとかいうわけではないので参考程度にして頂ければ面白いと思います😆👍🏻✨笑
突き動かす力
「僕は僕の創造がたくさんの人に活力を与えているのを知っている。不安や恐れ、無価値感はもはや僕の行動を止める足かせにはなりえない。」
不快な感情や出来事さえも
自らの創造した完璧な作品であると氣づいたなら
それらは僕自身にみなぎる自信と称賛という力こそ与えど
僕を傷付けたり、僕から何かを奪ったりする事など出来ない。
僕は僕の創造性と豊かさを無限に発揮し続ける。
誰だって本当はね…♡
誰だって本当はね
完全無欠な途轍もない存在なの
でもね
そんな完全無欠な途轍もない存在のまま
人間やってても全然つまらないから
本当に自分が無力で無価値な存在なんだって
思い込ませて騙しちゃえるくらいに
自作自演劇の世界を創造しちゃったの笑
その完全無欠な途轍もない創造性を使ってね
だからね
無力で無価値な自分を味わうだけ味わって
ある時に自作自演だったことに氣づいて
自分がもともと何者だったのかを思い出していくと
無限の創造性が溢れ出てくるよ♡
画廊 tomoshibi
僕にとっての武術②
陸上自衛隊を去った後
僕は生まれ故郷の小倉に帰ってきた。
ちょっと話は飛ぶ感じになるけど
小倉に住み始めて
その時に付き合っていた彼女と半年も経たずにうまくいかなくなり、1年ほどで色々あって別れてしまった。
彼女と付き合っている期間、自分なりに鍛錬は続けていたが、特に何をやるでもなく、うまくいかない最愛の彼女との関係とホテルマンの仕事と有機溶剤の匂いプンプンのエアブラシアートの修行に日々疲れきっていた。
……。
…また別の機会に補足して書こうと思ってはいるのだけど
その彼女との別れがきっかけで
自分の感情と向き合うことや、自分との対話というフェイズに移行した。
自分を癒すことや、日常でピンときたことをやってみるとか
行きたい場所があればそこに行き
会いたい人がいたら会いに行く
やりたいことがあればやってみる
ジムに行って一から鍛え直す
ということをやっていって
あ、やってみたい♡
と思ったのが中国武術だった。
僕にとっての武術
僕は、生きていく上で
感性を磨くことを非常に重要視している。
そのための有効なツールが武術だ。
僕のこれまで歩んできた道のりは
いくつかの切り口で見ていくことはできるが
今回は武術を題材にしていこうと思う。
僕の武術歴は、15歳で始めた合氣道が最初だ。
師範は、それほど体格も大きくなく、髭を生やした仙人のような人だった。
豪快に笑いながら
大の大人を指一本で投げ飛ばしたり、木刀で殴りかかってきた男を軽く躱しながらヒョイと投げ飛ばして、いつの間にか木刀を自分が持ってるような
15歳の少年だった僕にとっては
神に近い存在だった。
高校生になって、積極的に稽古していた頃、そんな神に近い存在に、稽古帰りによく家まで送ってもらっていた。
その帰り道に師範とは色んなことを話したけど
そんな時、よく聞いていたのは
「感性を磨くこと」
「基本が極意」
「氣を広げる」
という言葉だった。
当時はまだあんまりよく分かってなかった。
高校を卒業後、浪人して、結婚式場でのアルバイトを始めたり、色々な事情が重なって、黒帯までは頂いたけど、稽古からは足が遠のいていた。
武術の鍛錬は続けていたけれど、その頃は筋力トレーニングだったり、モテボディを目指すことにフォーカスが行き過ぎてたかも笑笑
普通じゃ出来ない体験、人生のネタ集め、それから、身に付けた闘争技術をぶつける場を求めて志願した陸上自衛隊へ入隊後しばらくは思ったように行動出来ず、理想と現実のギャップに腐っていた。
感性からは程遠い生活だったのかも。笑。
途中、基地内で3.11に被災し、入隊後初めて、一般の人達の役に立つ体験を災害派遣にて経験した。心躍った。
派遣終了後、精神的な疲労もあったのかも知れないし、色々あって、3年経ったら辞めることに決めた。
大体その頃に出会ったのが柔道だ。
寝技や関節技、絞め技を習いたくて、空挺団の柔道部に入部。
邪魔な防具は一切つけず、殴る蹴るさえしなければ基本的に何やってもオッケー👌ってのがよかった。笑
柔道部の顧問の先生は現役の頃はオリンピック代表選出も視野に入れていたような人だったから、もちろんメチャクチャ強かった笑
部員もバリバリの柔道経験者しかいなくて
僕より強い人しかいなかった笑
合氣道やってたから、受け身だけは上手かった笑。
技は限定されてるものの、なりふり構わず全力で思いっきりかかっていけるのは楽しかった。
そんな相手を求めてもいた笑。
全力で挑んで、投げ飛ばされて畳に叩きつけられるのが爽快だった。
実力はなかなか上がらなかったが、ほぼ毎日通った。
出席率だけは団内一だった笑。
突き指や、肘や肩を痛めるのは日常茶飯事。肋骨にヒビが入ったこともある。笑
始めて半年で左耳が潰れた。笑
だいぶ慣れてきて、たまに一本取れるようになって、黒帯もなんとか頂くことが出来た。
第一空挺団長から頂いたその黒帯は今でも使ってる。
そこから間も無くして自衛隊を辞めた。
…というところで、また次回この続きを書こうと思います。
ではでは☺
【一人一人にストーリーがある】
昨夜ふと思ったのが
「一人一人にストーリーがある。」
ということだった。
どんなお爺ちゃんお婆ちゃんがいて
どんなお父さんお母さんがいて
どんな兄弟姉妹がいて
家庭内ではどんなことがあって
小学校や中学校、高校、大学ではどんな先生や友達と出会って
どんなことを体験して
アルバイトや仕事、お金にまつわることや人間関係ではどんなことをやって
どんなことを体験して
どんなことを成し
どんなことを失敗し
どんな人に出逢って
どんなことを体験できたのか
…数えきれないくらいの、色んな「どんなこと」の鎖が組み合わさって
僕を含め、今のみんながいるんだ〜
…って、なんか腑に落ちて
深く息を吐いた。
僕は僕自身のストーリーを生きながら、もっと色んな人のストーリーを知りたいし、その行く末を見守りたい。
時には登場人物としてお邪魔させて頂くこともあるのかもしれない笑。
何度か試みてはきたけど
僕はこれから僕自身の歴史(ストーリー)を
また紐解いていこうかなと思ってる。
全てのことはメッセージ
「前兆」をキャッチする感性
それが「前兆」かどうかは本人にしか分からない。
身の回りのあらゆる「前兆」をサポートとして氣付き、自分の推進力に変えていける体質にしていく。
自分の身体と仲良しになってくると
眠っていた感性が目を覚ますよ。
画廊 tomoshibi