自分らしく自由に生きる

小さい頃はいじめられっ子でコンプレックスの塊、自分の事を押し殺しがちだった僕が、鬱病になったり、家庭内別居、セッ○スレスを経験したりしながらも、自分を受け入れ、本音を大事に生きることを始め、思い込みのブロックをどんどん外していき、自分らしく楽に生きられるようになった話。

僕にとっての武術

僕は、生きていく上で

 

感性を磨くことを非常に重要視している。

 

そのための有効なツールが武術だ。

 

 

僕のこれまで歩んできた道のりは

 

いくつかの切り口で見ていくことはできるが

 

今回は武術を題材にしていこうと思う。

 

 

 

僕の武術歴は、15歳で始めた合氣道が最初だ。

 

師範は、それほど体格も大きくなく、髭を生やした仙人のような人だった。

 

豪快に笑いながら

 

大の大人を指一本で投げ飛ばしたり、木刀で殴りかかってきた男を軽く躱しながらヒョイと投げ飛ばして、いつの間にか木刀を自分が持ってるような

 

15歳の少年だった僕にとっては

 

神に近い存在だった。

 

 

高校生になって、積極的に稽古していた頃、そんな神に近い存在に、稽古帰りによく家まで送ってもらっていた。

 

その帰り道に師範とは色んなことを話したけど

 

そんな時、よく聞いていたのは

 

「感性を磨くこと」

 

「基本が極意」

 

「氣を広げる」

 

という言葉だった。

 

当時はまだあんまりよく分かってなかった。

 

 

高校を卒業後、浪人して、結婚式場でのアルバイトを始めたり、色々な事情が重なって、黒帯までは頂いたけど、稽古からは足が遠のいていた。

 

武術の鍛錬は続けていたけれど、その頃は筋力トレーニングだったり、モテボディを目指すことにフォーカスが行き過ぎてたかも笑笑

 

普通じゃ出来ない体験、人生のネタ集め、それから、身に付けた闘争技術をぶつける場を求めて志願した陸上自衛隊へ入隊後しばらくは思ったように行動出来ず、理想と現実のギャップに腐っていた。

 

感性からは程遠い生活だったのかも。笑。

 

途中、基地内で3.11に被災し、入隊後初めて、一般の人達の役に立つ体験を災害派遣にて経験した。心躍った。

 

派遣終了後、精神的な疲労もあったのかも知れないし、色々あって、3年経ったら辞めることに決めた。

 

大体その頃に出会ったのが柔道だ。

寝技や関節技、絞め技を習いたくて、空挺団の柔道部に入部。

 

邪魔な防具は一切つけず、殴る蹴るさえしなければ基本的に何やってもオッケー👌ってのがよかった。笑

 

柔道部の顧問の先生は現役の頃はオリンピック代表選出も視野に入れていたような人だったから、もちろんメチャクチャ強かった笑

 

部員もバリバリの柔道経験者しかいなくて

 

僕より強い人しかいなかった笑

 

合氣道やってたから、受け身だけは上手かった笑。

 

技は限定されてるものの、なりふり構わず全力で思いっきりかかっていけるのは楽しかった。

 

そんな相手を求めてもいた笑。

 

全力で挑んで、投げ飛ばされて畳に叩きつけられるのが爽快だった。

 

実力はなかなか上がらなかったが、ほぼ毎日通った。

 

出席率だけは団内一だった笑。

 

突き指や、肘や肩を痛めるのは日常茶飯事。肋骨にヒビが入ったこともある。笑

 

始めて半年で左耳が潰れた。笑

 

だいぶ慣れてきて、たまに一本取れるようになって、黒帯もなんとか頂くことが出来た。

 

第一空挺団長から頂いたその黒帯は今でも使ってる。

 

 

そこから間も無くして自衛隊を辞めた。

 

 

…というところで、また次回この続きを書こうと思います。

 

ではでは☺

 

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