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自分らしく自由に生きる

小さい頃はいじめられっ子でコンプレックスの塊、自分の事を押し殺しがちだった僕が、鬱病になったり、家庭内別居、セッ○スレスを経験したりしながらも、自分を受け入れ、本音を大事に生きることを始め、思い込みのブロックをどんどん外していき、自分らしく楽に生きられるようになった話。

これが歴史の反復ってやつ🤔⁈

前回の常識・非常識のラインについての記事を書いた後

 

なんか考察(妄想?)が止まらなくなっちゃったので

 

備忘録としても書いとこうかな😄笑

 

 

 

常識と非常識のライン

 

村社会

 

掟(常識)を破った奴は

 

村八分

 

組織の維持

……。

 

 

 

大昔、村が出来たばかりのころは

 

みんなで火を囲んでワイワイ楽しくやりたかっただけなのかもしれない

 

 

だんだん村の人口が増えてくると、とんでもない才能や個性の持ち主が生まれてくる

 

最初は羨ましかったり

 

最初は誇らしかったりしただけなのかもしれない

 

でもある時

 

才能や個性への羨望は嫉妬へ

 

自らの誇らしさは優越感と尊大さへ

 

へと変貌を遂げてしまう時がくる

 

人は色んな意味で弱い

 

自らの弱さをなかなか認められない弱さがある

 

たとえ仲が良くても肚を割って弱さを曝け出すのは怖い

 

 

自らの弱さと向き合おうとせず

 

 

相手を攻撃する方が楽

 

 

自分の内のネガティヴな感情から目をそらし、お互いの攻撃が始まる

 

争いになる

 

血が流れ

 

村民は悲しみにくれる

 

二度と繰り返さないように掟ができる

 

 

掟を破った奴は村八分

 

 

それでも掟破りな人間は現れる

 

でも、一人で生きていける奴なんてなかなかいないから、渋々従う

 

 

渋々従う奴らが集まる

 

 

また争いになる

 

 

またさらに強化された掟が出来る

 

村は拡大していくが

 

また同じようなことが繰り返される

 

今度は村同士が争ったり統合したりを繰り返していく

 

やがて国家となっていく

 

今度は国家同士が…以下略

 

掟はより強固、巧妙になり

 

大多数の人間の世間体と常識の領域になっていく。

 

 

 

うーん

 

 

 友人にこの話をしたら

 

今こそドストエフスキーの「罪と罰」を読むべきだって言われたけど

 

なんか挫折しそう…😪😪😴笑

 

最近あんまり本が読めない😆💦