自分らしく自由に生きる

小さい頃はいじめられっ子でコンプレックスの塊、自分の事を押し殺しがちだった僕が、鬱病になったり、家庭内別居、セッ○スレスを経験したりしながらも、自分を受け入れ、本音を大事に生きることを始め、思い込みのブロックをどんどん外していき、自分らしく楽に生きられるようになった話。

なんか分かってしまったこと

地球に満遍なく降り注ぐ太陽光

どこまでも広がる空

夜空に輝く星々や月

広大な海や川、湖、雲

地球中を覆う大氣

季節の移り変わり

 

受け取ろうと思えば


世界は無限のリソースに満ち溢れていると言ってもいい

 


世界中の大富豪が束になっても、無限のそれらを買うことや所有することは出来ないだろう


生成と消滅を繰り返す生命もまた同じ


無限に満ち溢れる生命が


永遠の時間の中のほんの刹那の時間にプチっと分裂しているのが僕たち。


無限の存在のごくごく一部が、なんか知らないけど、一時的に有限な身体をまとった存在として、分裂して生きているのが僕たち。


有限な身体をまとってはいるけど

意識だけは無限の存在と繋がっていて

 

受け取ろうと思えば、あるいは、受け取れることを思い出せば

 

(ここに、豊かさを受け取るセンサーの役割を果たす感性を磨くことの重要性が活きてくる。)

 


いつでもそこから無限にリソースを受け取ることが出来て


有限な身体が動き続ける限りは


無限の創造性と無限の豊かさを発揮することが出来る


無限の存在とのつながりを思い出すって

そんなことなのだと思う

 

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画廊tomoshibi

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何も変えなくても完璧な世界

一昨日、以前に同じ職場で働いていた友人の結婚式に招待されて、出席してきた😊✨

 

天気が良くて、本当に結婚式日和☺

 

 

もう半分同窓会みたいな感じだった笑

 

お前ら最高かよって言いたくなるくらいの大変満足な披露宴💓

 

 

会場内は言わば、社会の縮図みたいなもんで、業界は近いけど、学生含め色んな職業や地位の人達がいた。当たり前だけど。

 

 

で、会場内の全体がふと視野に入った時

 

 

ブワアアアアッ‼︎‼︎

 

 

っと身体中に衝撃が走ったような感覚になって、氣づいた。

 

 

ここにいる一人一人にそれぞれの境遇のストーリーがあって、それぞれがそれぞれの思いを持って生きていて

 

たとえ今の社会的な地位が高かったり、経済的な収入が多かったとしても

 

 

たとえ今の社会的な地位が低かったり、経済的な収入が少なかったとしても

 

そのほんの一瞬のひとときの中では

 

たまっっったまそのポジションになってるだけで

 

そこに本当は優劣なんてなくて

 

それぞれの人が

 

それぞれの色の輝きを発しながら

 

無限に溢れる豊かさの中で

 

それぞれの人生を完璧な美しさで創造しながら生きている

 

…ってことに。

 

だから、誰かを変えようだとか、解放しようとか、問題を解決してあげようだとか

 

そんなのはもうハッキリ言って

 

余計なお世話で

 

僕が僕を必要としてる人達に提供できるのは

 

僕自身がこれまでに歩んできた僕だけのストーリーを

 

僕自身がそれを楽しみながら、面白おかしく伝えて、それをなにかの役に立ててもらうことだったり

 

 

僕自身が楽しみながら

 

息をするくらいに自然に描けてしまう絵を、僕を好きになってくれた人達、そして、僕自身が大好きになった人達に描いてくことだったり

 

 

僕自身が楽しみながら

 

武術という切り口で、自分の体感覚を感じるセンサーを鍛えていくことで、自分の深い部分の感情を解放していって、無限の豊かさ・創造性を思い出して、それを表現していく楽しさを伝えることだったり

 

 

 

僕自身が楽しみながら

 

美味しい料理を作って、それを食べながら、好きな人達とワイワイやりながら豊かなひとときを過ごすことだったり

 

 

 

これは楽しいのかどうか、いや、多分楽しい氣がする

 

何の解決策も打開策も与えられないし、伝えられないと思うけど、僕に何らかの悩みを打ち明けてくれている人が、その人自身の持つ無限の創造性と豊かさを思い出すことを信じて、静かに話を聞いて、時々降りてきた言葉を伝えることだったり

 

 

なんじゃないかなと思う。

 

 

どこまでいっても

 

僕は僕自身でしかいることはできなくて

 

他の何者かになろうとした瞬間に駄目になっちゃう笑

 

 

だったら、僕は僕自身の輝きを世界に向けて放ち続けるだけ✨✨✨

 

 

全力でゲームをプレーするだけ😌💓

 

 

みんな大好きです☺💓f:id:activatortohya:20170222040641j:image

 

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僕にとっての武術④

前回の記事:

僕にとっての武術③ - 自分らしく自由に生きる

 

中国武術の見学に行きました。

 

これがね、思ったより凄く面白かったんです。笑

 

初めての見学で強く印象に残ったこと。

 

寸勁(すんけい)っていう

 

相手に拳が触れた状態から放つ突きがあって

 

ブルース・リーワンインチパンチとしてかなり有名なのだけど

 

 

ともかく

 

女の先生の寸勁を喰らってみた。

 

 

まさか

 

当時、武術家歴13年の僕が

 

寸勁で2メートルくらい飛ばされて

 

壁にぶつかるとは思わなかったゼ。笑

 

先生はニコニコしていた。笑

 

「……本物だ。」

 

…っていうのがその時の実感。

 

 

その日で入門を決めた。笑。

 

 

この中国武術、早朝のおじいさんおばあさん達が公園でやってる体操のイメージが強かったけど

 

全っ然そんなことない。笑

 

 

思った以上に理論的。

 

そして、同時に身体感覚が養われる。

 

 

これが自分との対話に凄く役に立った。

 

全身を一つにするために

 

大雑把だった身体の認識を

 

微細な感覚を拾いながら再編集していく作業。

 

派手さは全然ないけど

 

感覚がどんどん鋭くなっていった。

 

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修行は続く(^^) 

 

 

 

これが歴史の反復ってやつ🤔⁈

前回の常識・非常識のラインについての記事を書いた後

 

なんか考察(妄想?)が止まらなくなっちゃったので

 

備忘録としても書いとこうかな😄笑

 

 

 

常識と非常識のライン

 

村社会

 

掟(常識)を破った奴は

 

村八分

 

組織の維持

……。

 

 

 

大昔、村が出来たばかりのころは

 

みんなで火を囲んでワイワイ楽しくやりたかっただけなのかもしれない

 

 

だんだん村の人口が増えてくると、とんでもない才能や個性の持ち主が生まれてくる

 

最初は羨ましかったり

 

最初は誇らしかったりしただけなのかもしれない

 

でもある時

 

才能や個性への羨望は嫉妬へ

 

自らの誇らしさは優越感と尊大さへ

 

へと変貌を遂げてしまう時がくる

 

人は色んな意味で弱い

 

自らの弱さをなかなか認められない弱さがある

 

たとえ仲が良くても肚を割って弱さを曝け出すのは怖い

 

 

自らの弱さと向き合おうとせず

 

 

相手を攻撃する方が楽

 

 

自分の内のネガティヴな感情から目をそらし、お互いの攻撃が始まる

 

争いになる

 

血が流れ

 

村民は悲しみにくれる

 

二度と繰り返さないように掟ができる

 

 

掟を破った奴は村八分

 

 

それでも掟破りな人間は現れる

 

でも、一人で生きていける奴なんてなかなかいないから、渋々従う

 

 

渋々従う奴らが集まる

 

 

また争いになる

 

 

またさらに強化された掟が出来る

 

村は拡大していくが

 

また同じようなことが繰り返される

 

今度は村同士が争ったり統合したりを繰り返していく

 

やがて国家となっていく

 

今度は国家同士が…以下略

 

掟はより強固、巧妙になり

 

大多数の人間の世間体と常識の領域になっていく。

 

 

 

うーん

 

 

 友人にこの話をしたら

 

今こそドストエフスキーの「罪と罰」を読むべきだって言われたけど

 

なんか挫折しそう…😪😪😴笑

 

最近あんまり本が読めない😆💦

 

 

 

 

 

自分を使った人体実験の日々

自分がやりたいことをやろうとして

 

自分の可能性を広げようと行動する際

 

生み出される不快感、引き起こされる様々な現象は

 


そこから元の場所に戻れば安全だよ


っていう、潜在意識からの信号


概ねこの信号のラインは


社会の大半、世間一般で創り出された常識・非常識のラインと一致している

 

で、飛び抜けたいと思ったら必ずこの不快感ラインを踏むことになる🚨🚔

 

不快感を恐れずに味わえば世界は広がる


潜在意識もちょっとずつ変化する

 


不快感から逃げ出せば現状維持

 

自分を生きたいと思ったら


非常識な結果を得たいと思ったら


どうしても、このラインを超えざるを得なくなる

 

 


・やりたくないことをやめるのが怖い
・非常識と思われるのが怖い

・筋トレがきつい

・勉強がきつい

 

※告白して振られるのが怖い、もかな?

 

全然好きでもなくて向いてないことをやる必要は全く感じないけど


自分が好きで好きで仕方ないことがあって

肚の底からやりたいことがあるなら


そのままやったらいいと思うし


他のことでも、飛び抜けたかったら


この不快感ゾーンの存在に気づくと面白いかも

 

全ての頑張りを否定するわけでは全然なくて


誰かを変えたいとか

誰かを救いたいとか


〜〜だからダメとかジャッジする気も見下す気もさらさらないのだけど


この不快感ゾーンはひょっとしたら、自分の可能性を広げるための頑張り所なのかも🤔

 

自分に優しくしてばかりなのもあまり良くないなと反省😓😑


…ってことで筋トレと語学とカラオケの練習に励みます👍🏻👍🏻💪😆

 


自分を使った人体実験の日々🤔

 

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本当の自分からのテスト

やりたいことやると決断したら

 

その決断が本物か

 

節目節目で

 

本当の自分はテストしてくる


現実は甘くない

イタイ奴

非常識

そんなの聞いたことない

増えないイイねや友達、読者の数

誹謗抽象

仲良くしてくれていた人からのドス黒い嫉妬

減り続ける残高に関係なく要求される支出

社会的信用失墜の不安

恥辱

親しい人達からも見捨てらるのではないかという恐怖心

 

巻き込まれている最中はそれが幻想なんてとても信じられないくらいに強烈な臨場感😱😱😱

 


ありとあらゆる幻想を創り出して👻

 


無力で無価値な自分という絶望のドン底に叩き落そうとする😭😭💀💀👿

 

ここで無理と諦めて以前のステージに戻っても、それはそれでオッケー👌

 

 

ただ、そこでなんとか踏ん張って

 

 

吹き荒れる絶望感や不安感、無価値感を感じられるだけ感じたら


不思議となんとかなる

 

話を黙って聞いてくれる人もきっと出てくる☺

 

仲間もちょっとずつ出来る😊

 

離れていても、いつも見守ってくれる人もちょっとずつ出てくる☺

 

これから歩む道で遭遇するものに対しての覚悟も決まる😌


なんか、アイデアも不思議と浮かんでくる😁✨


なんか、もう一段階強くなってる自分がいる👍🏻

 

なんか、もう一段階、誰かに優しく出来るようになった自分がいる☺️

 


より輝きを増した自分がいる✨✨✨

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…全部、僕の話です。テヘペロ😋

 

僕は世界を照らし続ける。

 

灯火を創造し続ける。

 

画廊 tomoshibi

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僕にとっての武術③

前回の記事:

僕にとっての武術② - 自分らしく自由に生きる

 

 

中国武術

 

地元で習えるものといったら

 

キックボクシングや空手、総合格闘技、柔道、剣道、居合、合氣道、少林寺拳法柔術

 

中国武術は、おそらく、この中では一番古くからあるもの。

 

世界中どこにいっても、なんらかの武術はある。

 

闘争がない国はおそらくほとんどない。

 

 

武術における闘争は

 

人と人との一種の言葉を使わないコミュニケーションとも言える。

 

ただ身体を鍛えるとか、強くなるためではなくて

 

そのコミュニケーションに共通して流れている地下水脈のようなもの

 

存在意義や身体操法といった

 

「本質」に触れてみたかった。

 

それが中国武術にはあると思った。

 

 

あと、愛読書の漫画「グラップラー刃牙」の中国武術家・烈海王や、「ハチワンダイバー」の八極拳士・ジョンス・リーを気に入っていたのも理由の一つではあった笑笑。

 

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…というわけで、意外と近くで中国武術を教えてくれる所があったので、見学に行ってみることにした😄✨

 

続きはまた〜〜😃✨